皆さまお久しぶりです!
長い間更新することができませんでした。
多忙もそうですが、日々の感情の変化や感覚の変動に私の文章がついていきませんでした。

2017年から今に至るまで、沢山の演奏機会に恵まれ、またいろいろな人との出会いによって、常に挑戦する機会をいただき、同時にキャパシティーを大きくするきっかけをいただきました。感謝です。
ピアノの上ではいつもドラマティック、それに平行して私の人生もドラマティックな気さえしますが、淡々と過ごせる日々も、もっと好きになれたらと思います。

3月、4月と二回スイスに行っていました。
一つ目はこちらのリサイタル。
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教会でのリサイタルでした。満員のお客様、親身に聴いてくださっているのが伝わってきて、またピアノの状態も素晴らしく楽しいリサイタルでした。

そして今月最初にあった、イースターフェスティバル。
こちらでは、バッハのコンチェルトd-Mollをルツェルン音楽祭弦楽オーケストラと演奏させていただきました。

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スタンディングオベーションの嵐でもう、本当に至福のときでした。
そんな幸せな音楽の時間はあっという間に過ぎていってしまうのですね。でも、まだあと数週間はこの余韻をエネルギーにして生きていける気がしています(笑)。
やっぱりバッハは本当に好きで、特に今回この時期にこの曲をプロオーケストラと演(や)らせていただいて、安藤真野のバッハはこう、というヴィジョンが当日のリハーサルではっきりしたので、本番は落ち着いて集中することができました。
曲をアナリーゼして、いい意味で、なんて病んでいる曲なんだろうと思い、弾く側、聞く側にとっては本当に治療、練習のときからずっと心が洗われていました。健康的な曲よりも少し病んでる曲が魅力的なのは、人間全てが健康な人はいないからでもあると思います。みんな不完全で、弱さも角も持っている生身の人間であること。音楽の父バッハだって例外ではないんです。それを知りつつ認めつつその中で一生懸命に力を注ぐ儚さと美しさ。

瞬間を生きることがどれだけ大事か、どれだけ素敵なことか、そしてどれだけ難しいことかをここずっと身をもって感じています。

やることも考えることも年齢とともに増えていく中で、ただその一瞬のために存在する、心は子供の頃のように純粋でいたいものです。
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皆様明けましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

元旦は私はニューイヤーコンサートと三大テノール(ドミンゴ、パバロッティ&カレラス)のドキュメンタリーを少し見て、お節ではなくお寿司(笑)を食べて過ごしました。

昨年は本当にあっという間で、もう2017年が来てしまって、私だけ時間の流れに追いついていないんじゃないかという気さえしますが、無事健康に新しい年を迎えられたことに感謝しています。

ドイツでの生活も11年目に突入し、ようやく地に自分の足をつけている感覚がわかるようになってきたかなという感じです。要するに、職業:コンサートピアニストです、自営業ですとはっきり言えるようになりました。
レッスンもしています。お寿司も巻いt・・・・・・笑。

ここまで来ることだけで本当に時間がかかってしまい、遠回りもたくさんしてきました。
四方八方ふさがりで進む道はもうないように思えたときも、じっと耐えたらふっと新しい道ができたりと、きっと私の人生は神様が監督されていて、シナリオと演出は自分でつくっていて、何をどれだけできるか試されているんじゃないかと思います。


2016年は私にとって変化の年でした。過去を振り返って比べてみると、私が歩んでいる道が少しずつではありますが、この一年で歩きやすくなっていきました。また今まで見えていなかったものが見えるようになったり、見えて知ったことによって不安や責任がともなったりと、では2017年はどんな年になるのか、いずれにしてもしっかりと歩んでいきたいです。

音楽って素晴らしい。ピアノで音楽することに私は魅せられています。
ただ、今までもこれからも、そこにビジネスや人間が持ち得る負の感情が入り込んで来ることとはほぼ隣り合わせで、でもそれが社会であり、人間の自然でもあるので避けられません。それが複雑に絡み合ったとき、人は息苦しくなったり、傷ついたり、多かれ少なかれこの世界で生きるということはそういうことでもあります。
その中で私が私でいるために、特にステージの上ではしっかり安藤真野でいるためにはこれからもたくさんのエネルギーと時間を費やし、ときに犠牲を伴って、でもそれに憂いている間もなく、流れていく時間と迫ってくる本番が私を連れていくのだと思います。
それでも落ち着いて勉強もしたいし、心から楽しみたい。

ただ、そうしていろいろな経験をしてできた(できていく)私だけのフィールドは、自分にとってもかけがえのないものであり、そのフィールドを通して、日本の皆さまに言えること(ブログでも)、音楽を通して伝えられることはたくさんあります。またドイツでは、そのフィールドを通すと、なんだか面白い外国人(!)という風に受け入れてくれます(笑)。

今までは課題をクリアしたら、また次の課題、時にいっきにたくさんそれが与えられたりと終わりのない戦いがずっと続いていくのだと思っていましたが、課題だけでなくふとしたところで人生のプレゼントをいただけるようになってきたり、見逃していただけで小さな幸せ、小さな小さな成功にも気づけるようになってきたので、運を貯めたのが清算されてきたのか、もしくは年をとることはこういうことでもあるのかなと思います。そんなプレゼントや瞬間は、大切に大切にしたいです。



このDiaryを読んでくださる皆さまにとって2017年が、心が生き生きする瞬間が一瞬でも多い、そういった意味で活力に満ち溢れた良い一年になることを、私はお祈りしています。
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音楽家にとって音を味わう瞬間というのは本当に大切で、私のこのブログにも瞬間という言葉がちらほら登場していると思う。
うまくいったコンサートや、特に思い通りにもしくは思う以上に弾けた曲があったときはあとでその曲を弾いていた音と映像と感覚をもう一度鮮明に思い出したくて、もう一度耳と心に流している自分もいる。

一瞬で終わってしまうことの儚さと名残惜しさ。


でも・・・

モノやお金や情報が急速に動く世の中で、また何が本当で何が事実で何が真実なのかよくわからない中で確かなものってなんだろう、どうしたら手に入れられるんだろうとふと考える。

たとえばお気に入りの服やアクセサリーなんかは、それを身に着けた「時」気分が上がったり嬉しくなったりするための素敵な演出のようなもので、その物自体はただのモノにすぎない。いつかは捨てられてしまうから。


でも経験した(している)瞬間の集まり、それぞれの集まりは私たち人間にとって、無常ではあるけれど、絶対に誰にも奪えない、自分ですら奪うことができない、消すことができない真実。


・・・・・・ピアノで、、、より特別な、より理想的な瞬間を求めていくことが、私にとっての真実。



だから今日も
今この瞬間も
私は心のままに
精一杯
精一杯

「生きる。」
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私にできないこと、足りないものなんかを数えだしたらきりがないけれど、これだけは自信を持って言える、持ち続けていられる。

それは

テンペラメント(気)。

どうして弾けば弾くほどエネルギーが増してくるのか、自分でもその理由がもう少しでわかりそうでわからない。体や頭がのらないときでもテンペラメントが助けてくれる。絶対に消えずにずっとずっと燃えていられる。

一緒に奏でるときは、一緒に溶け合って燃焼する。なんて気持ちがいいんだろう。

そのテンペラメントの火を、聴いていただく人へ、1人づつ、うつしていく。まるで、キャンドルからキャンドルへ、あたたかな火を渡すように。皆さまお一人お一人のテンペラメントを手助けできるように。ハートからハートへと連鎖していけたらいい。
音楽家として、人として、私はそういう風に人と触れ合っていたい。

より安定した、より持続的な灯を渡すためにはまだまだ栄養素が足りないから、これから少しづつ、でも確実に蓄えていく。


そして、これから歩む道の上で私は、一つでも多くのキャンドルに出会いたい。
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オケとの共演の機会もいただき、新聞にも載りました。
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学生の試験で批評家の方がいらしてくださるのは滅多にないそうです。感謝。
Nicht überzeugend genug

思えばあの厳しい受験からもう3年以上経っていて、セピア色になりつつある当時の記憶。
受かるのは1人か0人(学校によってはすべての楽器の科を合わせた受け入れ人数が1か0)という数字に、運も大きく関わってくる中で、どうしたらプロフェッサーの方々を説得できる演奏ができるのだろうとそんなことばかり考えていた自分。
受からせていただくことはできたけれど、本当はあの考え自体が甘かった。


今月、先月と今在籍しているソリスト課程の卒業試験があり、無事に合格することができた。
点数は1.0から5.0までで1.0が一番良く、試験管の先生方がそれぞれ小数点第一位までの点数を出し、それを一次試験と二次試験と合わせて平均点を出し、それが最終得点になる。ソリスト課程の入試の厳しさもあり、卒試では1点代に持ってくることもたやすくないと言われる中で、1.2という、学校の歴史の中でも稀に見る高得点と言われ、驚きと、運が味方してくれたことへの感謝と、私の中で何かが実った、不可能であったことが可能になった瞬間を静かではあるけれど確かに心に抱きしめていた。

いつも、自問自答。あなた、正直その演奏に満足している?なんでそう弾きたいの?何感じてる?足りないんじゃない?ほら、また忘れてる。ねぇ、あなた楽しんでる?
そう、他の誰でもない、まず自分自身を説得させること、それが、人に判断してもらう前に最も重要なことのように思う。
今はその意味を、今だからこそやっと、頭で心で、指先で、強く噛み締めることができる。
本当にそのことで頭がいっぱいで、ただただ自分との勝負で、他のものがまったく入る隙間がなかったから、逆によかったのかもしれない。

試験管の先生方は完全なアウェイ、予め提出した私のレパートリーの中から選曲されたものを弾く2次試験では難曲ばかり、ピアノの状態の悪さ、でもそんなことはどうでもよかった。だって全霊で楽しむことができる幸せの味を知ってしまったから。

そして、各先生それぞれの指導法や、レパートリーの種類、性格的なものやバックグラウンドが1人の生徒への演奏評価に反映されてくることは当然で、それでも私の演奏を受け入れてくださり、高く評価してくださった今回の試験管の先生方への感謝の気持ちが溢れる。
きっと今までお世話になった先生方全員にとって私は、いろんな意味で突拍子もない生徒だったと思う。最初から最後まで。
ただこんな私でも言えること、こんな私だからひとつ、皆さんに言いたいこと・・・。


それは、

何があってもあきらめないこと。
人間みんな、無限の可能性を秘めているから。それをあきらめることで捨ててしまってほしくない。
別にいつも頑張っている必要もない。
ただあきらめないこと。

時々目にする、日本からのニュースには、心が痛む。
報われないと思ったら、書き出してみるといい。ちょっと嬉しかったこと、少しできるようになったこと、何か達成できたこと、どんな小さなことでもいい、そうするとそれが自然に次に進むためのモチベーションになる。

あきらめなければ、遅かれ早かれ、何らかの形で報われるものだから、自分の人生と人とを比べないこと。
大いに参考にするところまでで留めて、自分だけの幸せのものさしをつくっていく。
日々の感謝を忘れない。当たり前だと思っていたことが、そうでなかったりする。いやきっと、当たり前なことなんて一つもない。

そう、絶対にあきらめないこと・・・・・・!



私はこれからも、私の中の不可能を可能にできる、かもしれないという怖さと期待に胸をハラハラワクワクさせながら生きていきたい。



・・・・・・皆さんの人生に幸あれ!!!!!!




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試験翌日、あるコンサート後の打ち上げ